花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

今を生きる、だけ - Simply Do Nothing, But Seize The Day

新しい年を迎えて、元旦は昨日と変わらぬ同じ一日だとわかっていてもなんとなく新鮮で、かつ厳粛な、気持ちになった。いつものことだが、一日一日を集中して精一杯生きようと考えているとふと、心に浮かんだ言葉がある。

 

Carpe Diem(カルペ・ディエム、今を生きる)

 

その言葉は、かれこれ10年以上前にドイツに出張した時初めて、訪問先で出された飲み物の商品名として知った。そのラテン語 "Carpe Diem" は直訳すると「今日を摘め」だが、それでは直ちに意味が掴めない。瓶のラベルに和弓の的(まと)が描かれた "Kombucha (昆布茶)" なので、禅など東洋哲学に通じる何か深い意味があるのかと想像した。提供したドイツ人に聞いても、(英語で)上手く説明できず、あーだこーだと、ビジネス本題前のある意味で良い前座話になった。

 

調べてみると古代ローマ詩人ホラーティウスの詩が原典だった。今日咲いた目の前の花を摘め、明日のことを思い煩うな、今ベストを尽くせ、といった意味のように思う。

 

「神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、…そんなことを尋ねてはいけない…
今日一日の花を摘みとることだ。(Carpe Diem)
明日が来るなんて、ちっともあてにはできないのだから。(ホラーティウス)」

 

例年ならもっと具体的に「今年の目標」を設定したりもするが、ぼんやりと「今に集中」だけを心に刻むことにした。新しい年・新しい生活をこれまでの延長線上ではなく、新鮮に気持ちよく過ごしたいと思ったからだ。

偶然にも今週受信したニューズレター "Dense Discovery"でも発信者の Kai が似たようなことを言っていた。多くの人は年頭に今年の目標を立てて頑張るけれど、少なくとも自分の経験では、その方法はストレスレベルを上げてフラストレーションを感じるうちに終わる。今の自分は全く違う考え方をするに至ったとして、次のように述べる。

「Jenny Odellと彼女の著書 "How To Do Nothing" のために実施した調査は、生産性についてのより深みのある解釈を気づかせてくれた。従来の生産性についての見方は、単に新しい物が生み出されるべきであるというだけの理由で、何がなんでも新しいモノを生み出すんだという概念に取り憑かれていた。それは明らかに新しいモノに価値を見出す資本主義者の価値観から来ていて、そのモノサシに従えば(現状維持のための)手入れや見護り、休息、遊びは時間の無駄とされてしまう。しかしもしあなたが私のように、綿密な計画や進捗管理を「いつまでもひたすら改善を繰り返す開発中ソフトウエア」の様で嫌だと感じていたら、Andrea Mingnoloが提唱するより人間味ある内向的な方法がある。一年先を計画する代わりに、1年前をじっくり振り返る方法だ。自分をより元気づけ、気持ちを高め、楽しませるにはどうすれば良かったのか、見直すのである。つまり、(新しいことは)何もしなくてもいい。ひたすら快適な混沌の上を飛んでいる感覚で過ごす。なぜならあなたは誰に対しても生産性に関する負い目はないのだから。」

www.densediscovery.com

これもまた偶然だが、元陸上オリンピック選手の為末大さんも今週のブログに次の様に書いている。

 

「私は日本社会が良くなるためには

・我慢しない
・リスクを取る
・好奇心を伸ばす

の3つが重要だと考えています。…

…好奇心を元に違う世界に接触する→自分が何を抑圧していて何に抑圧されているかがわかる→抑圧から放たれ思い切って違うことをやってみる→抑圧感がなくなり他人を抑圧しようという気分ではなくなる→社会全体が豊かになるかはわからないけれど個人の幸福感は高まる、です。」

note.com

 

我慢せずに自分の心に従って、「今を生きる」ことに徹した一年にしていきたい。

 

(追伸) “Carpe Diem” の英訳 “Seize The Day”を調べていたら本稿と同じ題名の米国映画(1989)があることを知った。規律に縛られた名門校の生徒たちの心を解き放ち、自由に生きる素晴らしさを教えた教師のストーリーのようだ。ちょうどニューヨーク駐在時の公開で、現地で観た気もするが、「今を生きる(邦題)」(字幕付😄)をまた観てみたい気がした。

honkienglish.com