花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

挑戦で自分自身が見えてくる - Challenges teach you about yourself

会社の管理職試験受験者に対する、模擬試験に付き合った。「会社をどうしたいか?」「どのような管理職になりたいか?」などのお定まりの質問に対する回答の中に、挑戦する風土を目指したいというものがあり、では挑戦って何だろうという話になった。

挑戦、戦いに挑む。言葉通りの意味は、第一に武力に訴えることであり、第二に目標や困難に立ち向かうことである。多くはチャレンジ精神に代表される第二の意味で使われるし、受験者である彼もその意味で言っていた。

困難に挑むことを是とするからには、その先に成果や達成感など相応の意味や価値がなくてはならないし、また仮に成功しなかったとしても、挑んだことそのものを評価して、結果にはある程度目を瞑る組織的な合意が必要だ。

組織はそうなのだが、個人としてはどうか?

失敗するリスクを乗り越えて挑戦するからには、対象あるいは目標が十分に難しく、時間と金をかける価値があると感じなければならない。それは相当の金銭的見返りや栄誉があればわかりやすいが、そうでなくても「そうせずにはいられない」原動力が自分の中にあるかどうかに掛かっている。つまり端的には、理由はわからないかもしれないが、とにかくどうしてもやりたいこと、好きなこと、こそが挑戦の対象であるべきである。

挑戦には時間と金をかけると上述したが、いずれも限られた資源であり、他の用途を犠牲にして挑む訳であるから、単なるその時の気まぐれではなく、コミットメントとも言える継続的努力が必要だ。気分が乗っている時も乗らない時も、晴れた日も雨の日も、暑くても寒くても、(程度問題ではあるが)体調がすぐれない時でさえ、継続する。それほど好きなことにこそ挑戦する意味がある。

逆にいうと、単にお金や名誉のための挑戦は、成功すればそれなりに達成感はあるとしても、虚しい。そんな挑戦を買って出ると、それが困難なものであればあるほど、失敗したらどうしようという不安が先に立って集中できなくなる。

僕の経験で言えば、30代のMBA挑戦は後者だった。ニューヨーク駐在から帰国し、グローバルな舞台で丁々発止の活躍を夢見たが、そこまでできる経験も自信も無かった。自分で勝手に作り上げた「駐在経験者への期待」に応える自分となるためには、MBAで箔をつけるしかないと受験を決意した。ハーバードなど米国名門校には蹴られたが、幸いにも欧州の雄ロンドンビジネススクールに合格した。しかし当時会社にはMBA留学制度は無かったので、休職しての留学を申請したが受け入れられず。会社を辞めて留学するつもりで親に支援を頼んで、準備は整ったが、万が一卒業できなかったらどうしよう、などの不安が先立って、結局断念した。グローバルに活躍してカッコよく高給取りになりたい、という甘い動機では、不安を乗り越えて挑戦するだけの原動力たり得なかった。

一方で500km以上走る本州横断「川の道フットレース」への挑戦は、不安は数知れずあったが、それらを乗り越えるだけのモチベーションがあり、とにかく成功するために何をなすべきかに集中して挑むことができた。与えられた一年という時間の中で、自分で考えうる全ての事の中からやる事とやらない事とを決めて実行し、レース本番に臨んだ。結果が吉と出ても凶と出ても、全力で挑んだ結果として受け入れる覚悟ができていた。失敗したとしても「これが掛け値なしの自分だ!」と言い切れた。

愛読書"Golf Is Not a Game of Perfect“(邦題「私が変わればゴルフが変わる」)で著者のボブ・ロテラは、ゴルフは挑戦する喜び、コミットメント感覚を味わう幸せ、を与えてくれるとした上で次のように続ける:

In the end, you will realize that you love golf because of what it teaches you about yourself.

最後にあなたは、あなたがゴルフを愛してやまないのは、ゴルフがあなた自身について教えてくれるからだと気付くことだろう。

好きなこと、やらずにはおれないことに挑戦し続けることこそが、人生であり、それは自分自身を発見する旅である。そんな気付きのあった一日だった。