花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

手首の問題

戦前の物理学者、寺田寅彦は、その随筆「手首の問題」で、バイオリンなどの弦楽器を演奏する際に手首は「全く弛緩した状態になっていて、しかもいかなる微細の力の変化に対しても弾性的に反応するのでなければならない」と、その特徴を捉える。そしてそれは、玉突き、ゴルフ、野球などスポーツ全般に言えることでは無いかと推論する。さらに「どうも世の中の事がなんでもかでもみんな手首の問題になってくるような気がする」と話を展開する。

科学の研究において、科学者が眼前に現れる現象に対して無私無我の心をもっていなければ、瞬時に現れて消えるような機微の現象を発見することは不可能。すなわち「心の手首」が自由に柔らかく弾性的であることが必要だ。政治においても「為政の手首が堅すぎては国運と民心の弦線は決して妙音を発するわけにはいかないのではないか。」

役人の処世術においては「あまり一生懸命に真面目に仕事をするとかえっていけない、そうかと言って怠けても無論いけないそう」で、役所という有機的な組織は「めいめいがソロをきかせる」が如く堅い手首で勝手に激しい轢音を放散しては円滑に運営できない。自我を押し合うことなく、悪く言えば「要領よくごまかす」ことが、一つの交響楽を演奏することにもなりうるらしい。

僕はこれまで、仕事でも私生活でも、先ず「正解」を求めて動く。その過程では柔軟な姿勢と考え方を信条としているが、一度納得のいく「正解」が得られると、ひたすらその結論を信じて突き進み、他人の意見を聞けなくなってしまう傾向にあったと反省する。つまり「わかった」と思った瞬間から手首が堅くなっていた。

例えばゴルフでもいいショットが続いてスコアがまとまれば、「わかった」と思う。その直後から向上心が鈍る。「わかった」ことは前進したと前向きに捉えるとともに、まだ先がある、あるいは間違った理解をしているかもしれないという謙虚さを持ち続け、手首を柔らかくし続けないといけない。

手首が堅くなる余罪はまだある。他人の意見を聞かないことで、その力を利用できないということだ。命令で部下を動かすコマンド&コントロール型リーダーに率いられた集団は、リーダーの能力枠を超えられない。戦略を示しながらも部下を意見を聞いて任せるサーバント型リーダーが組織の能力をリーダーのそれ以上に伸ばすことができる。僕のスタイルは自分で考え抜いた「正解(戦略・方針)」への自信過剰だったのかと思う。上司・部下に限らず、取引先や協力会社に対しても柔軟な手首が大切だと痛感する。

ゴルフでは手首がリラックスしていれば、トップの位置で伸ばし切った腕・腹筋・太腿の筋肉の伸張反射を十分に利用して、スイングスピードに変換し、クリーンヒットにつなぐことができる。ランニングにおいて手首ならぬ足首が柔軟であれば、接地した時に地面からの反発力を上手くもらえ、スピードに乗って楽に走れる。人生においても家族、地域から、国、世界とその歴史からの力を受けとめて、充実した心豊かな日常につなげられるように、心の手首を柔らかくしておきたい。