花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

Born to Run 走るために生まれた

 

 

2009年に出版されたクリストファー・マクドゥーガル著「Born to Run」は米国でベストセラーとなり、翌年邦訳版が日本でも発売された。長距離走に優れるメキシコ先住民タラウマラ族を追う中で、人がどの動物よりも長く走ることに長けているという事実が解き明かされるこの本は、タラウマラと米国ウルトラランナーとのレース対決でクライマックスを迎え、その見事な筆はこびは読むものを惹きつける。

多くのランナーにとって、あるいは広くランニング業界にとって、驚きであったのは、ランニングシューズが足を痛める原因とされたことだ。通常のスニーカーよりも厚めの靴底でランナーの足を守るとされていた常識を覆し、逆に厚底のクッションが「かかと着地」を楽にさせてくれるがために、結果としてランナーの膝を痛める。人間の足は、爪先からかかとまでに26個もの骨があり、それぞれが腱と筋肉でつながっていて、走る衝撃を吸収する役割を担っている。それは、爪先(より正確には小指の付け根)から着地することで機能するようにできている。かかと着地するとそのクッション機能が使われずに、衝撃が直接膝に伝わってしまうので、膝の軟骨や筋肉を痛めるのだ。

この本をきっかけに、シューズを履くのをやめ、タラウマラ族のようにワラーチ(古タイヤを足型に切って革紐を結んだ簡易サンダル)を使い始めたランナーが増えた。またワラーチどころか裸足で走るランナーも出てきている。

僕もランニングを始めて数ヶ月経って、2度目のフルマラソンレースを走ってから膝を痛めた。ワラーチについて知るようにはなっていたが、実際に履き始めたのはその1年後、小諸ー新潟間250kmを走る「川の道フットレース(ハーフ)」を完走して翌年の「フル(500km超)」への挑戦権を得た時だ。250kmを完走したと言っても最後の20kmほどは足を引きずって歩いたに等しい。こんなことでは「フル」は無理だ、と思って、そのレース中に「扁平足が治る」と聞いたワラーチに飛びついた。

ワラーチのいいところは、強制的につま先着地になること。5mm厚のゴム底なので、かかと着地ではとても走れない。自然と足のクッションを使うことになる。もちろんそれまで使えてなかった機能を使い出すわけだから、慣れるには時間がかかる。また使う筋肉が十分使用に耐えるほどに強くなるまでに、さらに時間がかかる。走り方の癖にもよるが、僕の場合はお尻の中臀筋と足(指の付け根から踵に至る全ての筋肉)の痛みに悩まされた。

しかし慣れてみると快適この上なく、もう靴には戻れない感じだ。第一に軽い。厚さ5mmのゴムサンダルなので持ち運びも便利だ。第二に、当然だが、風通しがよく気持ちいい。第三に靴擦れなく、楽に長く走れる。

いいとこだらけのワラーチだが、話はこれで終わらない。ワラーチ・ランの先には裸足ランが待っている。確かに芝生の上や砂浜を裸足で走るのは気持ちいい。でも山の尖った小石や木の実の上を走るのは、いや歩くのだって、大変だ。しかし直接足裏が地面に触れることで得られる感触・情報はワラーチの比ではなく、それによる体の反応・脳の刺激で、より活性化される感覚がある。実際に裸足で一日過ごすことは健康に良いという医学的研究もあるし、何よりもやはり気持ちいい。本能的にその喜びを体が知っている。

本能的な喜びを味わう実験がある。リラックスして立ち、その場でジャンプする。少しずつより高く、飛ぶ。すると不思議なことにだんだん気持ち良くなってくる。そして最後は思いっきり飛んでみる。持って生まれた力の限りが発揮されて、幸せ感に満ちてくる。「ほぅ、ほぅ、ほーぅ」なんて声を上げたくなるくらいに。

原始、人間は裸足だった(笑)。ワラーチでそうであったように、慣れるまでに時間がかかるだろうし、走るスキルも高めていかなくてはならない。痛い思いもするだろう。それでも裸足でより長く、より速く走ることができれば、人間本来の力が解き放たれて、より幸せになれる気がしている。まさにBorn to Run、走るために生まれた人の幸せだ。