花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

人生が輝く「サイズ」を探して - Bright Size Life

「最近、パット・メセニー(Pat Metheny)の『Bright Size Life』をよく聞く」という友人Mくん(前回登場の「写真家」Mくんとは別人)の謎めいたSNS投稿を見たのは、1年前の9月だった。

曰く、「『Bright Size Life』というタイトルがなんだか心に引っかかり…メセニーがどういう思いでこのタイトルをデビュー作につけたのかわからないし、うまく日本語にもできない」けれど「なにかいいなと。」「『bright size』がどれぐらいのサイズ感なのか、多分小さいのだろうな。手のひらに乗るぐらいなのかあとか。自分の人生のbright sizeを探しながら日々大切に生きたい」

 

「bright life(明るく輝く人生)」ならなんとなく想像がつく。でも「bright size(輝く大きさ)」ってなんだろうと僕の心にも引っかかり、その時初めて、そのジャズ・ギタリストの曲を聴いた。プログレッシブ・ジャズというジャンルに属する1975年のインストゥルメンタルは、綺麗で透明な感じがした。70年代といえば、日本では「大きいことはいいことだ!」というチョコレートの宣伝が流行った頃だ。ミズーリ州で13歳からギターを独学で学び、18歳にしてボストンの名門バークリー音楽大学の講師になったメセニーは、21歳で「デビュー」という人生の節目に気負うことなく、ただ輝いていたいという純粋な心があったのかな、と思った。サイズは決して大きくある必要はない。輝く自分であり続ける心地良いサイズの人生求めて新しいキャリアをスタートさせようと。

 

後年メセニー本人が、ファンからそのミステリアスなタイトルの意味を問われて、次のように語っている。(Patmetheny.com 2001/5/1付Q&Aより拙訳)

「この間にちょっと考えてみたけど、正直言って、曲の名前を付ける時に何を考えていたか、そのタイトルはどこから来たのか、まったくわからない。たぶんその時頭に浮かんだ言葉に、ジャコ(パストリアス。トリオを組んだメンバーの一人)もいいねって言ってくれて、それで決まった感じかな。長いこと「練習曲第2番(exercise number 2)」と呼んでたんで、どんな名前でもそれよりマシだった。」

 

実情はそんなことなのだろうが、少なくとも26年後(2001年時点)でもステージで弾いたりしているところを見ると、メセニーにとっても愛着のあるお気に入りの曲であり、たぶんタイトルもしっくり来ているのだろう。僕たちが不思議に思ったように、英語ネイティブにとっても謎めいたタイトルだったということが分かっただけでも、悩んだ甲斐はあった。

 

Mくんは高校の同級生というだけで、あまり深い交流はなかった。当時からバンドを組んでギター弾きつつも学業優秀なデキル子だったが、高校時代と同じ長髪で同窓会に現れたので印象に残った。それをきっかけに6〜7年前からSNSでつながって、食べ物、本、旅行などの心に留まった投稿に時々コメントしたりしていた。ワイメア(ハワイの地名)の話題で盛り上がりながら何か違うなと感じていたら、僕はハワイ島のワイメア、彼はカウアイ島のそれを言っていて、可笑しかった。そしてお奨めに従ってカウアイ島のワイメアも行くと約束した。

Mくんの息子さんによれば、「情熱をもって宗教学や文化人類学を学び、世界の死生観にふれてきた」父親が、「人生でたどり着いたすべて」として「自分の人生のbright sizeを探しながら日々大切に生きたい」と思ったということ自体に胸がいっぱいになったという。

息子さんにとっての父親は、ずっと「最大の恐怖であり敵」だった。会話はするが口から出るのは「論」ばかりで、さみしいとか、うれしいとか、「気持ちの言葉」がない。気持ちが分からない怖さがあった。そして彼もまた「気持ちの言葉」を使わなくなり、「誰かを助けられる自分でなければダメだ」という執着が芽生えるようになったのだと。

しかし去年(2020年)1月に2人きりで会った時、彼からその執着について話し、執着が家庭の中で芽生えたと思うことまで伝えることができた。すると父親からも息子との関係や情緒的なことをずっと避けていたことについて「どうすればいいかわからなかった」と言われた。「居場所がなかった」とも。それははじめて父親から聞く「気持ちの言葉」だった。人生の重い栓がポンと抜けた気がしたそうだ。家族に無断で一人でカウアイ島に行った父のことが鮮明に、優しい気持ちとともに思い出されたと。「それからの父と私は、はっきり言って、仲良しだった…父は私に、自分が何を好きなのか、どう好きなのか、たくさん話してくれました。」そしてMくんにいくつもの夢が生まれて、それを恥ずかしそうに小出しに話しては、息子さんを嬉しがらせてた。病気で告げられた余命を越えても元気だったMくんが、医師に今後の見通しを聞いた時に、隣で聞いていた彼は「思わず勇み足に『父には夢があるので』と口出し」してしまった。「そのときの自分が、私は好きです。自分の中に父への愛情があるということを認識した瞬間でした。」

「私が小さな子どもの頃から、きっと父は自由でありたいと願いながら、自分の心をどうすればいいのか、ずっと戸惑っていたから。それを何よりも大切にするようになったとき、人はこんなにも優しさと楽しさと、やわらかい輝きで満たされるんだということを、父がその身をもって教えてくれました。いま、父を心に浮かべると、あたたかい気持ちがどこまでもとめどなく広がります。」

 

悲しいことにMくんは今年の4月に他界した。魂はカウアイ島にあるそうなので、また旅ができるようになったら、約束通り行ってみたいと思った。「ずーっと前からいるような感じのする場所」で、彼が生きた「自由で好きな人生」のbright size を尋ねてみよう。