花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

2刀流で「素」の自分に出会う - Disponibilité to Meet the Stranger in Yourself

2刀流といえばアメリカ大リーグの大谷翔平選手の投打2刀流が頭に浮かぶ。今年大活躍し、最高殊勲選手(MVP)に選ばれるかも知れないと話題になっているが、その活躍の原点には高校1年生の時に書いた「目標達成シート」があるというのは有名な話だ。

「目標達成シート」は大谷翔平の高校時代の監督、佐々木洋氏からの教えで作られたもので、3x3の升目の中心に一番の目標(彼の場合は「ドラ1、8球団」。つまりプロ野球8球団からドラフト1位指名される事。)を書く。その目標(大目標)を囲む残りの8マスには、その夢を実現するために必要なこと(中目標)、例えば「時速160km以上のスピード」や「コントロール」、「人間性」や「運」までを記入する。そしてさらにその周りに同じ3x3マス目が8つあって、それぞれの中心に先ほど書いた8つの中目標を書いて、その実現のための具体的・日常的に実行すべきこと(小目標あるいは日常課題)を書き出す。彼はゴミを見つけると、それが試合中のバッターボックスであろうと、すぐに拾うことでも賞賛されたが、ゴミ拾いも中目標「運」を呼び込む日課としてこのシートに書かれていた。そして見事に高校3年生でドラ1指名されたが、その時すでに彼は次の大目標「大リーグ」を公言していた。

大谷翔平選手のように強い意志としっかりしたビジョンを持ち、成し遂げたい夢をきちんと期日に実現できる人に多くの人々は憧れる。しかし長い人生、夢や目標がはっきり見えている時ばかりではない。また必ずしもかつての夢を実現することだけが成功だったり幸せだったりするわけでもない。夢が自分に合わない、あるいは夢そのものが間違っていると後で気付くことだってある。初志貫徹〇〇一筋の人生は一つの理想なのかも知れないが、投打2刀流ならぬ、人生2刀流・3刀流で生きることも本当の自分を発揮する幸せな人生だと思う。そして人生2本目の刀は、目標設定して掴み取るというより、思いがけない他からのきっかけで得られることも多いように思う。それは病気や親しい人の死など必ずしも良いことばかりではないかも知れないが、予期せぬ状況に夢中で取り組んで、流れの中で自然と手の中にあるような感覚だ。

 

僕の友人Mは、今年還暦にして「写真家」デビューを果たした。大学卒業後、銀座の化粧品メーカーに就職したが、大病を患い、それが一つのきっかけとなって退社。独立して自分の会社を立ち上げ、苦労の末、経営は軌道に乗った。写真が趣味の一つである彼は、5年ほど前からSNSグループでプロの写真家に指導を受けるようになり、仲間と「グループ展」を開くまでに腕を上げた。コロナ禍で伊豆の別荘での生活が長くなる中、現地で知り合った華道家の目に留まり、西伊豆華道家が開いた個展の撮影を任された。ほぼ毎日SNSにアップされる彼の写真は見事なもので、「プロはだしだね」と褒めちぎっていたが、まさか本当のプロになるとは思わなかった。今年の半ばに出版されたその写真集を見ると、生け花の作品一点一点それぞれが持つ美しさを引き出すように光と影、アングルを考えて撮っていることが伝わってくる。限られた時間・空間の中で対象を吟味し、勝負している彼の姿が見えるようだ。最初に勤めた会社も彼の希望に叶ったものだったかも知れないが、独立して自分で事業をすることが「素」の彼により合っていたのだろう。そして今年、写真家になったことも「素」の一面が、新たに表に現れたというべきだろう。

デザイナーの矢萩喜従郎さんも、40歳を過ぎたあたりから写真や建築の活動を始めているということだが、彼がある雑誌に投稿した「新しい自分の輪郭」と題した記事の冒頭で、まずジャコメッティの彫刻を眺めるプロセスを細かく描写し、彫刻の輪郭を捉えるその行為が自分自身の輪郭を捉えることにつながっている、として、次のように続ける。

「自分の輪郭について考えるようになったそののちに, 行き先に目標を設定しない行脚に憧れを持ちはじめている自分に気づいた。閉塞から逃れ, 自在性を維持するには, 自分を漂わせられるかにかかっていると識り得たからだろう。思いがけない考え方や見方を萌芽させる可能性は必ずや自分を漂わせる中で育まれるのだから, 私は獲物が前を通り抜けていくときも見逃さないような精神にしておくこと, つまり『ディスポニビリテ』(=求められたときにすぐに応じられる状態にしておくこと)の必要性を意識せざるを得なくなったのだ。物質であれ, 人であれ, 書物であれ, 私は降りかかってくる『他』からの活力を身体全体で受けとめたいと願う。新しい自分の輪郭の到来もおそらく『他』からの活力に負うところが多いのだから。」

 

「行先に目標を設定しない行脚」に憧れた彼は、自分の意思というよりは「『他』からの活力」で自分の輪郭を掴んで、結果として写真家や建築家になる。人間は自分の限界を越える挑戦の中で、「本当の自分」や「新しい自分」に出会うとも言われるが、矢萩さんはそれを自分の輪郭と称して、出会いのきっかけや捉える力を外に求めた。その時重要なのは意思やビジョンよりも「ディスポニビリテ(disponibilité 仏語。自由さ、柔軟さ、対応力)」であることを意識して。

 

小さい頃の夢は必ずしも本当の夢ではないかも知れない。本当の夢を見ている「素」の自分は、自分の中にあることは確かだが、じっと内面を見つめているばかりでは、その輪郭は捉えにくい。最初の夢に囚われて成し遂げたいことを追い求めるばかりでは、時に閉塞感に襲われて疲れてしまう。コロナ禍でますます増えてきたと言われる "Burn out" (燃え尽き)も、自分が意思した目標に計画通りたどり着こうとするストレスがもたらすメンタル危機の一つかも知れない。

一方、世界に広がる「他からの活力」は無限にある。それを使える自由な心で流れに乗る冒険者になるには、最初は少し勇気がいるのかも知れない。苦労するかも知れない。しかし他でもない自分の命の時間の使い方だ。僕も先月還暦を迎え、今勤めている会社も退職扱いとなり単年嘱託契約となった。

深く椅子に腰掛けてゆったりと周りを見渡して、「ディスポニビリテ」で流れを感じるところから始めてみようと思う、今日この頃である。