花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

がんばろうBOSTON - Boston Strong

第126回ボストンマラソンへの参加申込が、審査の結果正式に受理された、とのメールがようやく届いた。事前に今年は足切り無しとは聞いていたものの、晴れてスタートラインに立てると思うと嬉しいものだ。新型コロナの感染状況は新たな変異株(オミクロン株)が俄に拡大して、不透明感が増しているが、バイデン大統領が言うように「Science & Speed」で対処してもらうことを期待して、自分のできる準備を進めていこうと思う。

コロナ禍という異常事態になってからおよそ2年が経とうとしている。かつての生活全てが戻るわけではないとしても、会いたい人に会い、行きたいところに行ける「日常」を早く取り戻す鍵は、実際のところ社会を構成する我々一人ひとりの意識や行動にかかっているように思う。

 

1995年1月17日、阪神・淡路大震災で神戸の街は崩壊したが、被災者は悲しみを乗り越え復興のために前向きに生きた。震災後、練習もままならなかった地元球団オリックス・ブルーウェーブは「がんばろうKOBE」の合言葉をユニフォームの右袖に付けて、神戸での開幕戦に踏み切る。オリックスの宮内オーナーは当時を振り返って次のように述べている。

地震の直後、球団では、神戸以外の地方球場で興行する話が出ていた。こんな惨状で野球を見にくる人はいない、今シーズン神戸で野球をするのは夢物語だ、ということだった。私は反対した。「こんなとき神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」と。そうしたら、全員が市民と一緒に復興しようという気に変わっていった。開幕試合には三万人もの方が見に来られ、逆に選手たちを感動させた。がんばろうKOBEに魂が入った。」

神戸にとどまり、市民とともに戦おうというチームと、そんなチームを応援する神戸市民。その開幕戦で勝利を飾ったブルーウェーブはその後も快進撃を続けて見事「リーグ優勝」に輝いた。日本一こそ逃したが、それは「がんばろうKOBE」という合言葉を胸に、チームとファンや市民が一丸となった結果である。

2013年4月15日、第117回ボストンマラソンは爆破テロに襲われ、300人を越える死傷者が出た。事件後最初に行われた地元球団ボストン・レッドソックスの試合では、悲劇から立ち上がるスローガン"Boston Strong" がフェンウェイパーク球場のバックスクリーン「グリーンモンスター」に掲げられ、選手も"B Strong "のロゴ・パッチをユニフォームに付けてシーズン通して戦った。前年最下位だったレッドソックスだが、John Farrell 新監督の下、奮起してリーグ優勝、そしてワールドチャンピオンにまで駆け上がった。こちらも事件から立ち直ろうとする市民の応援がチームの団結となって大きく影響したと言われている。

 

1995年の「がんばろうKOBE」、2013年の"Boston Strong "。いずれも市民の力に後押しされて、野球という小さな世界の出来事だが、奇跡が起こった。また同時に地元チームの活躍が市民を元気づけ、スポーツの力を強く感じさせた。コロナ禍により2年連続で「愛国者の日(Patriots' Day)」に開催できなかったボストンマラソン。2022年は伝統の4月第3月曜日に復活させて「日常」を取り戻す象徴としたい。関係者の努力だけで打ち勝つことができるほどパンデミックは柔(やわ)ではない。それでもスポーツの力をここでも示せるように、そしてその一員として自分も微力ながら貢献できるように、願ってやまない。

がんばろうBOSTON!