花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

3年で51倍(10km→514km)の距離に挑む【変態三部作 第二話(その2)】A Trilogy of My Transformation - Episode 2−(2)

7月の津軽200kmを140kmで股擦れでリタイア。2017年の僕の夏は終わったが、不思議と心は前を向いていた。一番心配していた脚は140km走ってもまだ残っていて、最初スピードを抑えてレースに入る「対策」が功を奏した手応えを感じた。雨でシューズやシャツが濡れて摩擦が増えた場合の解決策も、同じ悩みのランナーがSNS投稿を読んで大いに参考になった。蛇の道は蛇というのか、長距離ランナーの悩みに応える特殊なクリームがあって早速入手した。24時間以上走る長丁場レースでは、天候の変化の幅も広く考えておかねばならないし、ちょっとした擦れや痛みを放置すると繰り返して長時間刺激することで取り返しのつかない悪化を招く。トラブルに備えた周到な準備と早期対処が必要なことを痛感した。初めての挑戦は失敗に終わったが学びが多く、満足感は高かった。次は完走できる。根拠のない自信が湧いていた。

秋、僕にとって2度目のマラソン・シーズンが始まった。メインレースを11月の大田原と1月の勝田に決めて、あとは天童ラ・フランス・マラソンなどファン・ランを入れた。当然に自己ベスト更新できるものとたかをくくっていた。しかし特に計画的に練習をしたわけでもなく、気分に任せてのジョギングだけでレースに臨んで痛い目にあう。

天童(ハーフ)で2時間切れず。食を楽しむ遊びとはいえ、最後の5kmで追い込もうとしても足が動かなかった。大田原は制限時間4時間のレース。初マラソンでサブ4だったので余裕を持ってスタート。前半はほぼなだらかな下り。後半は上りに転じて、しかも多くの場合、北西からの「那須降ろし」を向かい風に受ける。前半は5分30秒/kmで後半に余力を残したはずだったが、見事に失速。38km地点で収容車に拾われた。年が明けて1月の勝田。前年は足攣りで4時間オーバーだったので何とか雪辱をと気合を入れた。ところが今度は腹痛で、後半4回もトイレに駆け込む始末。4時間どころか去年の「ワースト」を更新してしまった。

2月の京都マラソンが抽選に当たりシーズン最後のフルマラソンとなった。大田原の反省から月150km以上は走るようにしてから2度目のレース。腹痛にならぬよう、前夜の食事から生物は避けて、万全を期した。京都は学生時代の4年間を過ごしたので、土地勘はある。しかもゴールの手前2kmは、勝手知ったる百万遍〜(銀閣寺)〜平安神宮。ここもやはり前半5分30秒/kmペースで刻んで、様子を見ながらいい感じで後半を迎えたと思ったら、また脚に違和感があり、最後にとうとう攣った。最後は足が復活して5分/kmで飛ばしたが、4時間を切ることはできなかった。

2度目のフルマラソン・シーズンを不本意に終えたが、淡々と心は春〜夏のウルトラに向いていた。フルマラソンは、例えば給水ポイントでランナー同士が我先に水を取りに行くなど、長距離のわりには秒を争うような場面が多い。その点ウルトラになるとみんなで完走を目指す連帯感が競争心に勝り、給水所では譲り合う。ラン歴2年目にして早くもウルトラ好きになっていた。

最初の目標は、本州横断 東京〜新潟 「川の道」フットレースのハーフ(小諸〜新潟)254km。同じ主催者スポーツ・エイド・ジャパン(SAJ)のレース津軽で途中棄権したものの140kmのチェックポイントに制限時間内に到着していたため、「140km以上のウルトラを完走」条件をクリアして、エントリーに成功した。3月の「荒川リバーサイド・ジャーニーラン136km」は余裕を持って完走し、津軽の反省を生かして、雨・寒さ対策のシェルと薄手のジャケットを持ち、緊急時のエバキュエーション・シートと痛み止めを準備した。地図読みは今から思えば甘かったが、逆にそのおかげで必要以上に不安を抱え込む事なく、本番を迎えた。

スタート地点である小諸グランドホテルに前泊し、東京から走ってくる「フル(514km)」のランナーを迎え、翌朝11時にスタート。最初のチェックポイントがある上田は亡き妻と初めて旅行した思い出の土地。当時気に入って2度も行った蕎麦屋近くを丁度お昼頃通過するので、立ち寄ったが、人気店だけに長蛇の列。諦めて近くのコンビニで軽食をとった。長野市手前で千曲川を渡り、善光寺参り。長野市を北に抜ける頃には日が暮れてきた。ジャーニーランは夜通し走るので、夜間は女子は男子と一緒に走ることが推奨されている。たまたまコンビニで一緒になった女子3人と同道することになった。その中の一人は70歳手前のマダム。歩いてウルトラを完走してきたベテランだった。その歩きたるやまさにパワーウォーク。キロ10−11分のペースで若い女子が時々走らなくては追いつかないほどだった。僕はもう少し早いペースで走りたかったが、後から思えばこの時ゆっくりだったことが、後半の脚を残すことに繋がった。

飯山を越えてさらに北へ、野沢温泉を通り、夜明けを迎える頃に「私設エイド」に着いた。長野県と新潟県の県境あたりはコンビニも無ければ自販機も乏しい。そういうところを分かって丁度良い場所にエイドを自腹で運営してくれている。14年も続いている大会、ランナーならずともファンがいて、応援だけでなくエイドまで出してくれる。5月初め、暑い日も寒い日も風雨にさらされても、笑顔でランナーを迎えてくれるエイドの人たちには本当に頭が下がる。新潟県に入ると千曲川信濃川と名前を変えて流れる。程なくレスト・ポイント(RP)の旧三箇小に着く。RPは食事だけでなくシャワーがあり、仮眠も取れる。到着時間が遅く、シャワーは水だったが、走った体に心地よく、さっぱりした。軽く食事を取り、3時間寝た。興奮して眠いのに寝付けない。朝い眠りだがのんびりしてはいられない。午後4時にRPを出て最後の120kmに挑む。十日町市でマダムを見つける。県境で別れて先を言っていると思ったが、RPで休む時間が短かったのか。二晩目は単独走になったが、黙々と距離を稼いで、小千谷のチェックポイント (CP)に着いた。ここは民家のガレージを改造して仮眠スペースもある。食事メニューも豊富にあり日本酒まである。日本酒のすすめを振り切って(笑)1時間ほど寝させてもらい長岡に向かう。長岡を過ぎて燕三条に着く頃には夜が明けていよいよ最終日。21時の関門時間まで15時間、40km。完走を確信した。ほぼフルマラソンの距離が短く感じられるから不思議だ。しかしここで、急に脚にむず痒いような何とも言えないモヤモヤ感を覚えた。なんだかそわそわして走っていられない。なんだ、どうした。僕は焦った。川の道ランナーを見つけては、症状を訴えて、アドバイスを求めた。その中で、少し目を瞑って休んでみたら、と言われて、コンビニ前のベンチに座って目を瞑った。30分くらいうつらうつらしてみると、スッキリした。原因は寝不足か!とにかく元に戻って嬉しい。元気に走り出した。途中の産業道路は、長い直線で強風と日射に苦しんだし、単調さに眠気が襲ってもきたが、何とか耐えて日本海(通称「川の道岬」)にたどり着いた。そして歓喜のゴール。ゴールで待っていたSAJ代表舘山さんに、次は上(フル514km)を目指してくれ、と言われて、ほとんどその気になっていた。(続く)