花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

3年で51倍(10km→514km)の距離に挑む【変態三部作 第二話(その1)】A Trilogy of My Transformation - Episode 2−(1)

【単なる変化を超えた、劇的な変化を変態という。それはあたかも青虫が蝶になるような、変革(トランスフォーメーション、Transformation)。これは2016年9月に始まった僕の変態履歴である。】

 

「えっ、レース始めて8ヶ月でオクムに⁉︎」

2017年6月初め、奥武蔵ウルトラマラソン(通称「オクム」)78kmの前夜、相部屋を共にしたラン歴23年のベテランが呆れ声で言った。

 

「私はフルマラソン完走までに3年かけました。オクムは8月に実施され「灼熱のオクム」と言われた頃からウルトラマラソンの中でも一目置かれる大会。 6月開催で少し涼しくなったからといって舐めちゃいけない。」

 

「ウルトラは必ず足にマメができる。それが潰れる。痛くて走れなくなる。それに備えて私はロキソニン(痛み止め)を持ち、ロキソニン飲むために胃薬を飲んできました。」

 

なるほどそうかも知れないが、こっちにも事情がある。3月に「荒川リバーサイド(荒川)」で100km走れた勢いで、7月の「津軽ジャーニーラン200km(津軽)」にエントリーした。走るためには70km以上のウルトラマラソン完走証明が要る。「荒川」は「川の道(東京〜新潟520km)」の試走会的な色合いが強く、完走証を発行していなかった。

4月でもエントリーが間に合う「津軽」までのウルトラマラソンは関東ではオクムしかない。それが歴史があって難易度が高いとしても、制限時間の12時間以内に完走することしか頭になかった。ビギナーの知恵の引き出しは少ないので、作戦は前半に力をセーブすることだけ。最初に飛ばし過ぎてリタイアした「荒川」の反省を生かす。マメの心配までする知識も余裕もない。

 

オクムは距離こそ78kmとウルトラにしては短いが、獲得標高は2,500m超と激坂が続く。奥武蔵グリーンラインを中心の難コースだ。スタートして程なく、上り坂に入る。ここは迷わず歩いて体力温存。約3kmごとにあるエイド全てに寄って、水分・塩分・糖分を補給しながら登りは歩きに徹し、それでもアップダウンで脚が「売り切れ」そうになりながらも何とか完走した。10時間20分51秒だった。

 

さあ津軽だ!

津軽は2014年に初めて旅行して、古い街並みと美味しい郷土料理に魅了された。弘前城をスタートして岩木山嶺を進み、白神山地ブナ林を通って日本海岸に出て、北に上がって十三湖を廻って帰ってくる200kmを走ってみたい。自分に走れるかという不安よりも興味が先に立った。レースで何が起こるか想像もつかなかったが、オクム同様、ゆっくりスタートすることだけを考えた。ただし最初の60kmくらいは関門時間が厳しいので、時間チェック・コントロールはある程度こまめにする必要があり、このレース前についにランニング・ウォッチを買った。

大会当日はあいにくの雨。スタートからレインウェアに身を包んだが、最初の1時間で下半身はぐっしょり。夏なので寒くはないが、濡れたことで摩擦が通常以上に増えて足にマメ、股にスレを生じさせていた。そんなことも気付かず、鯵ヶ沢、亀ヶ岡遺跡と進む頃には雨も止んで夕陽が綺麗に見えた。十三湖のレスト・ポイント(RP)のしじみ汁は美味くて腹に沁みた。0時頃十三湖を後にして、その先しばらくは眠さにも耐えて走れていた。夜が白んできた120−130kmあたりで股擦れの痛みがひどくなり、持っていたワセリン塗っても汗で流れて効果なく、141kmの中泊町RPで動けなくなった。

それまでのウルトラはせいぜい100kmまでなので、10数時間で終わる。しかし200kmのウルトラともなると24時間以上、途中休憩はあるものの、動き続ける。その分、少しでも異常な動きがあれば、増幅されて、体に思わぬダメージを残す。僕の超ウルトラ初挑戦は途中棄権(DNF)に終わったが、それでも141km走れたことが、次のレース参加資格クリアにつながる。(続く)