花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

パーパス(信念)と自燈明…自分を探し、自分を捨てる、そして伸びる

ガンジーは『世界を変えたいなら、まず自分が変わりなさい』と言いましたが、それを実現するには、まず自分たちが成し遂げたい変化とは何かを明確にする必要があります。あなたが解決しようとしている人類の問題とはなにか、なぜそれを解決しようとしているのかを見つけることです。」

ゴールデンサークル理論(*)提唱するSimon Sinek氏の言葉です。先ず自分のパーパス(信念)をwhyを追求して探し出してから物事を始めろと主張します。自分は何を信じるか、心にあるものを言葉にしてはっきりさせるのです。そして人に伝える。人は、その人が信じるものを信じたときに初めて自ら率先して動く。それが世の中を動かす、変える原動力だというわけです。

 

ブッダは、その最期に「自燈明」という言葉を弟子に残しました。自らを灯火としなさい、拠り所にしなさいという意味です。ところで、しかし、仏教では我を捨てて無我になることを求めて修行します。そこには捨てるべき我がいる。無我の状態が素晴らしい「悟り」の境地。我を捨てて悟った「整った私」を頼りに生きなさいということでしょうか。でも悟ってないから迷い、どうすれば良いのか尋ねた弟子に、自分を頼れとは、殺生な言葉を残したものです。

インドから中国に渡り仏教を広めた達磨は「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言いました。「教えは言葉では言えない。伝わらない。文字にならない。」つまり頼りにすべき「整った私」は明確な言葉にはできない。心で感じて掴めということです。そして修行で瞑想するときは、頭の中に言葉・文字が無い状態を作ります。

言葉というものは良くも悪くもパワフルです。なんとも言いようがない感情を言葉にすると、考えが深まります。一方一度言葉にすると、それが一人歩きして勝手な物語を作ります。例えば「憎らしい」という言葉が生まれると、その人に憎らしいところを探してしまう。その人と会うと思っただけで怒りが込み上げてしまう。良いところ・素晴らしいところもある人なのにそっちは見ない。無いものと思いこんでしまうのです。言葉を頭から追い出してみれば、勝手に作った物語も消えます。そうしてニュートラルにその人に対峙してみる。あいつは案外良いやつだ、なんて事になるかも知れません。

相性もありますので直ちにそうはいかないかも知れませんが、それはそれとして次回も言葉を追い出してから会えば良い話です。人でも事でも同じこと。言葉を忘れ、物語を忘れた自分で対峙する。頼りにするのは過去や妄想から離れた素直な自分。そう考えると「自燈明」で生きることもできそうな気がしてきます。

 

「心を言葉にしろ」、「心から言葉を追い出せ」、いったいどっちなのでしょうか。

 

どちらも正解。時に言葉を見つけ、時に言葉を捨てる、その繰り返しの中で人は生きていくという気がしてます。武道・茶道などを習うときに守破離ということを言います。先ずは師匠のいうことを守る。型を身につける。次の段階で破る、型を崩す。そして離、型から離れて新しいステージに立つ。人生においては師匠は自分です。自分の心をはっきりさせる「守」、人に伝えたり現実に揉まれる中で変えていく「破」、型を捨てて無我になる「離」、これを繰り返して成長していく。そうして伸びゆく心を頼りにして生きることが、幸せなのだと思います。

 

(*)ゴールデンサークル理論「なにを」ではなく「なぜ」を示したときに人は動くという考え。人は具体的なものを優先させ、抽象的なものは後回しにしがちなため、思考、行動、コミュニケーションにおいても「何を(What)」「どうやるか(How)」の順に、円の外側からスタートするが「なぜ(Why)」と問われれば言葉に詰まる。その一方、マーチン・ルーサー・キングやアップル社といった優れたリーダーや組織はそれを逆に円の内側から行っており、なぜそれをするのかという本質的な問いである“Why”から物事をスタートすることで、多くの人々の心を動かすことが出来たとしている。

why」 ・・・なぜそうするのか(信念、目的、何のためするのか)
「how 」・・・どうやるのか(商品やサービスの説明、方法、理論)
「what」・・・何をするのか(商品、サービス)
ゴールデンサークル