花と、空と、リモンチェッロ/ Flower, Sky, and Limoncello

平和で美しく、ご機嫌な地球のために。For Peace, Beauty, and Joy on the Earth.

好きなことと、できること、をするだけ。

ほんのひと月前に「川の道503km」を一緒に走った仲間の一人が、虚血性心疾患で亡くなった。57歳だった。

 

「川の道」を過去8回も完走している彼は、普通は自分が完走するだけでも大変なこの大会で、初参加した人などレースが不安なランナーたちと一緒に走ってその多くを完走させてしまう。人は彼を完走請負人と呼ぶ。一人ひとりの動きをよく見て、時に厳しく、時に優しく、アドバイスしながらグループを先導する。自分が不調で引っ張れない時は、次に会う場所と時間を決め、そこまでに何箇所かあるチェックポイントへの目標到着時間を紙に書いて渡して別れる。時にレースに参加せずに、ボランティアスタッフとしてエイドステーションにいることもある。その時もやはり、一人ひとりに声をかけて、必要な人にはアドバイスする。そんな面倒見の良い男だった。

視覚・聴覚に障害があるランナーの伴走もやっていた。何人もの障害者ランナーから、隣で伴走されていることを意識せずに走れる素晴らしい伴奏者だったと聞いた。もちろんレースだけでなく、伴走グループの集まりなどでも笑いが絶えない人気者だったと言う。

広島〜長崎を原爆投下時刻に合わせて走るピース・ラン(8月6日 8時15分 黙祷後(9時)スタート 〜 8月9日 11時までにゴールして、11時02分 黙祷)では、全行程423kmを一人で走る友をサポート。友人数人とリレー伴走しながら史上2人目の単独走を支えた。レースだけでなく、旅ランや遠方から上京するラン友の歓迎など人が集まるところには彼の姿があった。

葬儀ではご長男が喪主を務めたが、同居家族は無く、訃報の通知先がわからなかった。彼の弟さんが FacebookSNS)で繋がっていたため、タイムラインに投稿したところ相当数のメッセージが次々と寄せられたため、家族葬の予定を切り替えて新宿区にある150人規模が参列できるお寺で式が執り行われた。コロナ禍の折にもかかわらず200人以上が参列した。首都圏はもとより遠くは四国・近畿からもランナーたちが来た。盲導犬を連れた人々、手話する人たちもいる。勤めていた会社を辞めて植木屋で独立して一年。上記のような事情でSNSだけの通知をしたのが水曜日。それでもこれほど多くの人たちが、業務や近所の付き合いとかではなく、ただただ彼にお別れを言いたくて金曜日に集まった。上手く表現する言葉が見当たらないが、とても荘厳な儀式だった。式場を後にし、密を避けて近くの公園で、友人と二人で夏の明るい夕空に献杯した。

彼を慕い、彼を思う人たちがこれほどまでに多いのは何故だろうか。頼りになる完走請負人。明るく面倒見が良く、人を笑わせるのが上手で、いつも笑顔。人の話をよく聞き、よく見て、その人に対して最も適切な言葉や態度で真心を返すから、受け取る側も快く受けとめ、感謝し、記憶に残す。年齢・経験・性別、障害の有無等、関係なく分け隔てなくフラットに相手に対応したから、皆から愛されたのだろう。

 

一緒に走っていたウルトラランナーが、レース中に人の面倒を見ている彼を見て、どうしてそんな神様みたいなことができるのかと聞いたところ、彼はことも無げに言ったという。

 

「俺は、好きなこととできることをしているだけだよ。」

 

人にとって何より大切なのは、限られた命の時間の使い方。

その一つの処方箋を彼は示してくれたように思う。

 

好きなことと、できることを、するだけ。

 

また彼に感謝だな。

ありがとう。安らかに。